日別アーカイブ: 2012年1月20日

近頃、うかがったある職場にて…

 組合員SC稼働の関係で、事務パートの面接が行われている。近頃、あるセンターにその面接でお邪魔した時の話だ。もっとも、これから書くのは面接の話ではない。面接の合間に、センター長と同じく面接のために本部から来ていたセンター長の上司とが話していた会話の内容についてだ。

 今、共済キャンペーンの追い込みの時期からか、どこのセンターの数字がどうとか、どこのブロックがすごいとか話していた。その中で、そこのセンター長が自分のセンターのブロックのことを褒めていたのだ。
「とても雰囲気がよく、朝礼などでもB長がいい話をしている。他のセンター長(?)からどうして成果が上がっているのか?何をしているのか?と聞かれるが、実は何もしていない。しいて言えば、個人の目標で詰めることをやめ、ブロックの目標をみんなで追っかけようというやり方に変えたくらいだ。そうしたら、みんなフォローしあって頑張れるようになり、達成感もみんなで味わえている」
…というのだ。横で黙ってよそ事をしながら聞いていた私を意識していたのかどうかはわからないが、とってもいい話ではないか!しかもそれをセンター長がしっかり見てくれているというのも素晴らしいと思った。
 先に、“異常な職場風土”になってんじゃないかと書いた私だが、きっと、現場段階ではこうした工夫や取り組みが独自に行われているに違いないと感じたのだ。すべてのセンターがそうなっているとはまだ思えないが、まだまだ捨てたもんじゃないと…。
 しかし、これから理事会が正式導入しようとしている人事制度は、個人評価である。事業所の業績が評価に反映するという部分はあるものの、ブロックなどという単位はない。先のセンター長が語った内容とこの人事制度の仕組みとは、うまく機能していけるのだろうか…と、そっちの方が気になった…というより、きっと無理だろう。そもそもそういう制度の仕組みになっていないと思うからだ。
 ついでに言えば、店舗のパートの強い不満となり、秋闘でも廃止を要求した共済の「個人目標」問題。理事会の見解(二次回答)には、何を思ったか「共済の大切さが店舗のパートには定着させきれなかった」などと書かれていたが、私たちが言いたかった本質は先のセンター長が実体験として語ってくれたのではないかと思う。
 さて、経営の上の方の人たちが、こうしたことを感じ取ってくれるのはいつの日のことなんだろうか…。

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実現可能性のない要求は出しても意味がないのか?

 毎度のことながら、「どうせ実現しない要求を掲げても仕方がない」という声が出される。今春闘の職場論議の中でも、やっぱり出されているようだ。一つ言っておきたい。“実現可能性”を要求の前提条件とすれば、要求できる内容なんてほとんどない。そういってしまえば身もふたもないのだが、要求は実現可能かどうかで測るものではなく、労働者の暮らしに本当に切実に必要なことなのかどうかで測るものだ。そして、それを要求するからこそ、不十分ではあれ現状の到達点があるのだということを知るべきだろう。もし、“どうせ実現しない”と言って何も要求してこなかったら、今でも不十分な年休の取得などは、もっと取得できない水準に、あるいは“うちの会社には年休なんてないよ”なんて水準になっていたかもしれない。実現しなくても、要求することでその問題について経営と渡り合い、一歩でも半歩でも前進させようと要求を掲げ続けてきたことが今の到達点を作ってきた原動力であり、だからこそこれからも重要なのである。

 勘違いされないよう、一つ付記しておく。前記で「“実現可能性”を要求の前提条件とすれば、要求できる内容なんてほとんどない」と書いたのは、経営資源的に不可能という意味ではない。だって、経営はずっと黒字だし、その気になれば剰余をゼロにしてでも賃上げや年休取得などの原資に充てることはできるのだ。要は経営の考え方ひとつでどうにでもなるということだ。おかやまコープの場合は、NET3%を至上命題としている関係上、それを達成するまでは、どんな要求をしても実現できないというのが理事会のスタンスだということだ。

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