冷静な判断はすべき、それには正確な情報が必要だ

 福島の原発事故は様々な分野に、しかも非常に深刻な影響を及ぼしている。その原因は放射能汚染ということだが、マスコミの報道は「人体には影響ないレベル」というばかりだ。おそらく、それはそうなんだろうとは思う。だから冷静な対応も必要だ。もっとも、放射線量の単位や“毎時”と“1年あたり”との違い、積算被曝量の問題、内部被曝の問題…など、すべてが明瞭にわかりやすく説明がされているかと言えば十分ではないとも思うが…。
 ところが、東京電力や原子力安全・保安院の記者会見を見ていると、「こいつら、ホントは何か隠しとんのと違うか?」と疑いたくなるような内容だ。

 そもそも、普通では自然界にある放射線量以上に“無いはず”の物質(放射性物質)が、基準値を“大幅に”下回るとはいえ、存在しているということだけで不安は生まれるのである。だとすれば、その不安が最小になるように正確かつ“信頼できる”情報をいち早く周知することが必要だと思うのだが、東電や保安院の記者会見は、不信感を増幅させる役割しか果たしていないような気がする。つまり、自らの責任は棚に上げ、「想定外」だったからとばかりに、どこか他人事のように見えるのである。

 TVや新聞各社も、専門家や学者なる人物を登場させて、その多くが“大丈夫だ”としきりに報道している。基準値から考えればそうなのだろう。しかし、この状態がいつまで続くか分からない、収束するかどうかもわからないような状況では、それこそ「想定外」を含む最悪の場合に備えた対策を先手先手で打つ必要があるのではないだろうか。

 チェルノブイリ事故の際、ポーランド政府はいち早く(事故4日後…それでも本当は遅いらしいのだが…)ヨード剤を配布し、その効果もあってか、数年後の子供の甲状腺がんの発症率を近隣国と比較して抑えられたと聞く。同じことを今すべきかどうかなんてことは、私は専門家ではないのでよくわからないが、少なくとも東電や保安院がそういう危機意識を持った対応をしているようには到底見えない。

 もちろん、現場で被曝の危険にさらされながら冷却作業をしている人たちには敬意を表する。すでに被曝した人たちもおり、彼らの努力を無駄にしないためにも、東電や保安院はこれまでの「安全神話」にとらわれず、保身を捨て、日本はおろか世界のために、“まともな”記者会見を行い、真摯な反省と責任を自覚し、国民の信頼を取り戻すこと、その上で正確かつ信頼のおける情報を発信すべきではないでだろうか。

カテゴリー: 書記局のつぶやき…(雑感) タグ: パーマリンク
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冷静な判断はすべき、それには正確な情報が必要だ への1件のフィードバック

  1. ハイサイおじさん のコメント:

    保安院は基本的に原発推進のお役所なので、できるだけ事を小さく収めようとする傾向があるのでしょう。一方、センセーショナルな方が売れるマスメディアの方は事を大きく報道しようとする傾向がありますね。
    冷静に情報を精査する能力が、私たちに求められていると思います。

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