雨の中、岡大キャンパスで戦跡巡り

12月21日(月)小雨の中、部会主催の戦跡巡り第3弾「岡山大学津島キャンパスコース」を開催し、労組員と家族合わせて9名が参加しました。今回も「岡山の戦争と戦火を記録する会」代表 片山和良さんにガイドをお願いしたところ、お仲間の羽原さんが来られてガイドをしてくださいました。

岡山大学津島キャンパスは日露戦争の後、1907(明治40年)に第17師団が新設されることになり、広大な水田が広がっていたところに6ヶ月という突貫工事で埋め立ててキャンパス一体は兵営に、近くの運動公園一帯は練兵場に変えられました。そのことにより、キャンパス内には今も当時の建物や門、塀等の遺物が残っています。参加者は広大なキャンパスを2時間かけて約10か所の戦跡を巡りながら当時の話を聞く貴重な時間を過ごすことができました。

軍の建物は洋風です。炊事棟や兵舎はレンガ造りで、レンガの積み方にも「イギリス積み」や「ドイツ積み」があるとのことで、よく見ると違いが分かりました。軍の施設はお金を使って当時としては立派なものが建てられたことが分かります。当時は軍が来ればインフラ整備が整う、地域が賑わうなどの理由から誘致合戦が行なわれ、岡山に師団を招致したとのことでした。今では多くの建物は取り壊されています。残っているものも一部だけのものがほとんどです。大学関係者もキャンパス内に戦跡があることを知っている人は少ないとのことでした。

草村の中にレンガ造りの塊がころがっていました。そこは橋梁演習場跡地でした。羽原さんの「作るだけでなく、撤退するときは橋脚を壊しながら撤退した」との話を聞くと、生々しさを感じました。羽原さんは「岡山から多くの人が戦争に行き、殺し殺されていることを知って欲しい。ここから戦争に行った部隊の殆どの人は亡くなっている。徴兵制度で集められた人は2年の訓練を受けて家に帰ると在郷軍人となる。在郷軍人をどんどん増やして戦争の時には召集令状で集めることをやっていた。終戦間近は訓練を受けた兵隊が激減したため、訓練を受けていない人にも召集令状を送って集めた。その召集令状はここの司令部が発行していた」と話されました。羽原さんのお話は具体的で大変分かり易く、皆真剣に聞いていました。

雨の中の戦跡巡りとなりましたが、参加者は「戦争はダメだと一層強く思った」「沢山の戦跡が残っているのに驚いた。残して欲しい」「岡大にこんなところがあるのは全く知らなかった」「父親に聞いていたことと似ている部分が多かった」「建物よりも羽原さんのフィリピンでの玉砕された時の話がショックだった。戦争は本当に悲惨だと思う」と皆、戦争を二度と繰り返させてはいけないと強く思える戦跡巡りとなりました。これからも第4弾5弾と続けていきたいと思います。

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