3.1ビキニデーに行ってきました

1954年3.1太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁において、アメリカが水爆実験を行いました。この実験でマーシャル諸島の島民や静岡県焼津港を母港とする第五福竜丸の乗組員が被ばくし、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが亡くなりました。被災犠牲者を追悼し、核兵器のない世界への決意を新たにする機会としてビキニデーは開催されています。

生協労組おかやまから2名、岡山県から全員で18名の参加でした。28日の集会は主催者あいさつの後、海外からの報告がありました。マーシャル諸島・上院議員をしているケネス・ケディさんはロンゲラップ島の賠償問題に奮闘されている方です。ケネスさんは集会後の「ビキニ事件と水爆禁止運動を学ぼう」の分科会でも、詳しく報告してくれました。水爆“ブラボー”は広島型原爆の1000倍の威力で、ロンゲラップ島はビキニ環礁から16k程離れているだけで、84人が被ばくしたそうです。なんと、ブラボーの実験で地上2mにもなる汚染された灰が積もったといいます。何も知らない島民は南の島に雪が降ったと言って浴びた人が大勢いたそうです。

分科会では水爆実験はビキニや第五福竜丸だけの問題ではないと当時太平洋を航行していた船員達やその家族に聞き取りを行いTVドキュメンタリーを作り、それを映画「X年後」にした監督伊藤英朗さんの話もありました。映画「X年後」の話はショッキングでした。アメリカはブラボー水爆実験の1年前から世界中に122ヶ所の放射能を測定するポイントを設置して、1954年3.1の放射性降下物の広がりを記録していたのです。

それによると、日本はすっぽりと覆われています。放射性物質が日本全土にばら撒かれたのです。もちろん太平洋上で操業していたマグロ漁船やタンカーなども被ばくしているはずですし多くの魚も被ばくしたのです。この話で一気にビキニデーが身近なものになりました。魚好きで癌で亡くなった私の父は魚が原因だったのではないか?とも思えました。確信や証拠はありませんが、それくらい身近な問題だと思えたのです。

3.1は焼津に眠る久保山愛吉さんの墓前祭に参加、焼津駅から1時間かけて墓前までパレードしました。その後焼津市文化センターで行われたビキニデー集会に参加して帰りました。初めての参加でしたが、ビキニデーのことが少しは理解でき、核とは共存できないのだという気持ちが強くなりました。今回学習した核の恐ろしさを皆に伝えていきたいと思います。

カテゴリー: TOPIXニュース, 活動日誌 タグ: パーマリンク
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