日別アーカイブ: 2012年8月9日

おもろいブログ発見!

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 上記URLは、ブログの中の一記事ですが、そっからホームへ移動して色々見て見てください。今は消費税増税反対キャンペーンなるものもやってるようで、勉強にもなりますよ!

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原水爆禁止2012年世界大会に行って来た~!

 8月5~6日(広島大会そのものは4~6日)と「原水爆禁止2012年世界大会」に参加してきました。
 5日は分科会。私はシンポジウム「核兵器、原発私たちの未来-原発からの撤退・自然エネルギーを考える」に参加しました。今もっとも関心の高いテーマの為か、会場は420名の参加で席が足らず、通路にまで人があふれました。
 3名のシンポジストのうち、ドイツから招かれた国際反核法律家協会共同課長ピーター・ベッカー博士は、ドイツが原子力から撤退を決めたこと背景には、福島の事故後に急に決めたのではなく、1970年代から始まった国民による反原発運動から脈々と続いている同国の歴史と運動があることが紹介されました。

 午後の講演では、福島県浪江町の馬場有町長が、3.12の水素爆発でも連絡協定を結んでいた東電からの連絡は無く、テレビで知ったことなどを悔しさをにじませて話されました。町長の話に耳を傾けた参加者は、復興と賠償の道にほど遠い現実の話に自分には何が出来るのかを問いかけたことでしょう。発言も沢山あり、終了時間まで発言者が途切れることはありませんでした。
 6日は閉会総会<ヒロシマデー集会>に参加しました。各国から参加した発言者は核に関する自国の苦しみを伝え、共にたたかおうと呼びかけました。ここでも福島県の女子高生が発言し、普通の高校生が避難民と呼ばれるようになり、避難所は偏った食生活で風呂にも入れない過酷な生活だったと語り、私達の未来に核兵器や原発はいらないと締めくくると会場から大きな拍手に包まれました。
 原水爆禁止世界大会は初めての参加でしたが、世界中で放射能に苦しんでいる人々の生の声を聞き、核と人類とは共存できないとの思いを強くしました。自分のできることからやっていこうと思い、第1歩として「さよなら原発」のステッカーを購入。愛車に貼ってさっそく意思表明したいと思います…することちっちゃ!

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「義務を果たさず権利ばかり主張する」の誤謬

 昨日8/8(水)、倉敷支部の支部大会が開催された。とてもいい大会だったと思う。原発問題を20分ほどのビデオで学習、議案提案を受けて各分会から発言が続いた。発言内容も、型にはまったものというより、結構率直な意見といった感じで、私自身とても参考になった。その中で、「義務を果たさず、権利だけを主張するのはよくない」といった主旨のご意見があった。発言した本人は単純に、“権利を主張するだけではなくて、きちんと職務も果たそうよ”という善意の思いからの発言に違いないのだが、そこには大きな落とし穴がある…というか、論理的には誤っているということを知ってほしいなと感じた。

 “義務を果たさず、権利ばかり主張する”…よく職場で耳にする言葉だ。特に、労組や労組役員に対して向けられる言葉としてよく語られる。ここで言われる“義務”というのは、ほぼ業績ということと同義として使われる。つまり、「仕事もろくにできてないくせに、権利だけは一人前に主張するなんて生意気だ」という感じで、苛立たしいのだろう。
 しかし、この論理は大きく間違っている。逆に言えば「仕事のできない奴は権利など守られなくても当たり前」という、むちゃくちゃな論理を肯定してしまうことになるからだ。なので、私に言わせれば、「権利を守ろうともしない実態がある中で、義務だけを果たせなどというのは厚かましいにもほどがある」ということだ。正しい言い方は、「権利は必ず守ります。だからあなたも義務を果たしてください」ということでなければならない。つまり、最大の問題は“権利が守られていないという職場の実態がある”ということが大前提にあることなのである。すべてこの事実が前提になっているということをまずはよく理解する必要がある。
 社会の中には、いろんな事情によって社会的な義務を果たそうにも果たせない人はたくさんいる。もちろん、それを意図的にしているとすれば、それは“モラル”の問題としてただされるべきだ。しかし、義務が果たせないからといって、憲法に保障されているその人の基本的人権(権利)を侵す権利は誰も持ちえないということと同じことである。
 私が言っていることは、“権利の上にあぐらをかいて…あるいは権利が守られていないことを笠に、義務を意図的に果たそうとしていない”といったたぐいの話をしているわけではない。だって、そんな仲間はほとんどいないだろう。頑張ってはいるけど、結果が出ていないという仲間は多いと思う。だけど、それは“権利だけを主張する”のとはわけが違う。はたから見れば、“頑張ってその程度か?”と思われる場合もあるかもしれない。しかし、それは個人差があるというものだ。年齢や得手不得手、肥満かやせ型かといっただけでも体の動きは違うだろう。それでも、各自は各自なりに頑張っているのだ。そういう個人差や個性を認められない組織だとすれば、それこそ協同組合の理念などを語る資格はないだろう。
 そこまで深く考えて発した言葉ではないかもしれない。しかし、その発言を“実は権利が保障されなくて不満に思っていても、自分なりに頑張っている”と思っている仲間が聞いたらどう感じるだろう。そういう想像力を発揮することこそ、今のおかやまコープの組織に欠けている最大の問題ではないのか。

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