日別アーカイブ: 2012年4月24日

なかなかいい味出してるじゃない!草彅君

 え~と、37歳で医者になったとか何とかいう番組、嫁さんが見ていたところにたまたま居合わせて見てしまったのだが…。組織の体面とか体裁とか慣例とか、さらには上司の意向とか組織の都合の悪いこと、割に合わないこと…一般的にサラリーマンが苦悩する最たる部分。草彅君演じる主人公の医者は、そんなことよりも患者やその家族の立場になって、そして本来医者に求められる役割、その信念に従って行動する…それも気張っているのではなく、何か違うんじゃないかと悩みながら行動する医者を演じている。医者の物語ではあっても、閉塞感漂う今の社会…いや、多くの企業が失ってしまったものを問いかけているようだ。もちろん、生協も例外ではないという思いからこの件に触れてみたのだがはたして…。

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ストライキ考…

 4月2日、生協労組おかやまとして久方ぶりの“全員ストライキ”を決行した。以前…そう、6~7年くらい前までは結構毎年の恒例行事のように全員ストでたたかっていた…。しかし、近年では中執や分会長のストにとどめていたため、多くの仲間(特に最近就職した仲間)にとっては、「えっ?ストって何?」「こんなご時世でストをやるの?」って思いが錯綜したに違いない。

 「ストって何?」っていうのには2種類あって、“そもそもストの意味が分かっていない”場合と、“ストのやり方(How to)が分からない”というものがある。後者はそう問題ない。やり方を教えてあげればいいからだ。しかし、前者はそうはいかない。そもそもストとは何なのかを解きほぐして知ってもらう必要があるからだ。
 でもその前に、私たちの賃金や労働条件はどうやって決まるのかということをきちんと理解することが必要だ。それは経営者と労働者の契約で決まる。そしてその契約は、経営者と労働者が対等平等の関係のもとで決めるということなのだ。ところが、労働者の立場は経営者のそれとは圧倒的に立場が弱い。自分の賃金が低いと思っても、社長のところへ一人で乗り込んで行って抗議できるという人はおそらく誰もいないだろう。それはそうだ、「君、明日から来なくていいよ、代わりはいくらでもいるから」と言われればハイそれまでよ~だからだ。
 労働者の立場は、かくも弱いものなのだ。だから憲法28条で、労働者の団結権と団体交渉権、そして団体行動権(争議権)が保障されているのだ。こっから先は、自分で勉強しよう。
 さて、その団体行動権の行使として、「ストライキ」をすれば当然経営に打撃を与える…、というか、そもそも条件を引き出すために打撃を与えるということなのだが、生協の場合のストはちょっと違う。もちろん、思いっきり打撃を与えるストも可能ではある。たしか2007年だったと思うが、藤田商品センターの物流ラインを3日間止めるというストを配置(これを決行すれば、翌日から配達が止まる)し、今日決裂すれば明日からラインが止まるという、それこそぶったまげたストを構えてギリギリの交渉を行ったこともある。その時は最後に理事会が譲歩して、満額とは言えないまでも再回答を引き出して妥結した。まぁしかし、そこまでのストは稀ではある。
 通常、生協労組が行うストは、生協は消費者運動を進める運動体としての側面があるため、組合員の利害を無視したストは基本的には避けてきたのである。それが正しいのかどうかはここでは論ずるつもりはない。しかし、消費者運動も私たち自身の要求を実現するための運動であり、ある意味消費者もその大半が労働者なのである。だから、組合員に直接的な影響を与えるストは避けてきたわけだ。
 これを指して、「自分たちのあとあとの仕事だけが大変になり、理事会にはちっとも打撃を与えない」として、“骨折り損のストライキだ”と批判されることがある。こう思う人たちは、当然、今やってるようなストなんて意味がないと思っているんだろう。ただ、実はそういうストでも理事会には大きな影響を与えているのだ…と私が言っても信用されないかもしれないが。
 しかし、考えてみてほしい。意味がないのでストはしないということになれば、回答に対する不満の思いはどうやって表現すればいいだろう?あるいは、そこからどうやって納得のいく再回答を引き出すという手段があるだろうか。ストをしないということが始めからわかっていれば、私が経営者ならどんなに経営が絶好調で、労働者の要求に応えるだけの十分な原資があったとしても、労働者の言いなりとなるような回答は絶対に出さないだろう。それが経営者のたしなみってもんだ(もっとも、日本でいちばん大切にしたい会社に紹介されている経営者はその限りではないと思うが…)。それは生協とて同じである。
 つまり、はなから「ストはしない」ということになれば、それは「経営者がおっしゃる通りの回答で結構でございます」ということを最初から宣言しているも等しいことなのだ。それでも「仕事が大変になるよりはいい」と思う人は、スト権確立投票で反対票を投じればいい。もっとも、その上で決まったことには従ってもらうということにはなるが…、それが組織というものだし、労働者の団結を守るということだ。
 さて、今回のストに対して、「こんなご時世にストなどやっていていいのか?」という声もあったと聞く。各自がどう思うかはもちろん自由だ。しかし一言いえば、こんなご時世だからこそ、労働者がきちんと暮らせる世の中にするために立ち上がることが必要なのではないだろうか。
 ただ、“こんなご時世”と“回答に不満”ということとは別ではないか?今回の回答についても、労組は何も満額回答をと主張しているわけではなく、11年度頑張ってそれなりの成果も出してきたにもかかわらず、厳しいのは理解できるが、一時金の大幅カットや諸要求のまったくのゼロ回答ってあまりではないかい?という思いを持ってストを決行したわけだ。“こんなご時世”だからたたかうことを遠慮すべきなんであれば、理事会の回答に対しても不満を言うのではなく、「こんなご時世の中でゼロ回答ではあったが、よくぞ回答してくれた!」と褒め称えてあげたらどうだろう?そこまで言えるのであれば、私も「こんなご時世で」の主張に一目置くことができるのだが…!

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