日別アーカイブ: 2012年2月19日

さすが!マイケル・サンデル教授

  18日(土)、NHKでマイケル・サンデル教授の「究極の選択」という番組をしていた。途中からしか見ていないが、さすが、面白い議論を展開していた。

 見たのは途中からだったが、テーマは『市場原理』ということのようだった(番組情報を見ると「お金で買えるもの、買えないもの」だった)。
 番組では、教育への市場原理導入と、それに関連して一般の会社の成果主義の問題、代理母や徴兵の問題について議論していた。
 教育への市場原理という問題では、学ぶことへの報償としてお金を出すということの是非について。大方の人は「それはおかしい」と答える。その理由は、簡単に言えばお金のために勉強するというのは本質的におかしいというもの。ところが、会社での成果への見返りとしての報酬は「問題ない」となる。本質的な問題でいえば、“学ぶこと”も事業を通じて“役に立つ”ことも同じ問題だとは思うのだが、さて…。
 さらに、代理母の問題は、子どもがほしいがそれがかなわない夫婦が、多額の報酬を出して他の女性に出産を依頼(委託)するという問題。これへの意見は二つに割れる。その行為は、ビジネスとして成立しているという主張と、体の一部をお金で他人にサービスするという意味で売春にも似た行為だ、母であっても子を売る権利はなく、容認すればそれは人身売買だという主張と。さて、あなたはどっち?
 最後は、サンデル教授が示した究極の選択。
 「自分の国に徴兵制が敷かれ、公正な抽選で兵役に行く青年が選ばれる。そして、あなたの子が選ばれた。そこで、あなたは多額のお金を積んでそれを必要としている別の青年に、自分の子の代わりに兵役に就くよう持ちかけた。さて、あなたの行為は認められるのか否か?」
 すんごい究極の質問だ。あなたならどう答えるだろう?
 さて、すべての問題に内在しているのは、もちろんテーマである「お金で買えるもの、買えないもの」、哲学的には“人間としての生き方”とでもいうような問題があるということだが、もう一つあるのは、世界に厳然としてある貧富の格差の問題である。これらすべての問題には、裕福な一方と貧しい一方が対極している。つまり、この貧富の格差がある限り、自由な意思による選択はあり得ないということだ。
 サンデル教授は、最後、「これらの議論を通じて学んだのは、市場原理だけでは『正しい社会』『善い社会』とは何かを定義したり、『善い生き方』の意味を決めたりすることはできないということ。なんでも金で片の付く市場原理主義という社会の中で暮らし続けたいのか、あるいは、そうではない、お金では計り知れない価値観、道徳的、共通の美徳を重んじる社会の中で暮らしたいのか、改めて考え直す時期にきている」と…。
 まぁ、これだけの説明ではこの哲学的な議論を表現することなどできないが、ある意味とても的を得た、大切な議論だと思う。
 ところで、途中からの視聴ではあったものの、気になったことがある。番組には、5人のゲスト(いずれも日本人の著名人)と東京の学生、そしてアメリカ、上海の学生が中継で参加していた。気になったのは、5人のゲストをはじめ、東京の学生らは比較的市場原理について肯定的な意見を終始述べていたこと。それに対してアメリカや上海の学生から反論されることもしばしばで、その再反論はまったく的を得ていないことが多かったように感じた。
 それはつまり、日本の社会に、この“市場原理”とか“自由競争”などという耳触りのいいまやかしの思想がいかに蔓延しているかを示しているのではないかと思ったのだ。そうでないことを願いながら、サンデル教授の議論とテーマに感心していた土曜の夜だった。

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