日別アーカイブ: 2010年10月7日

まだまだ知られていないんですねぇ…

 今日、日生協のHPを見ていたら、2020年ビジョンのサイトに岡山で開かれた20年ビジョンに関するワークショップの報告を見つけた。写真を見ると、おかやまコープの仲間も参加していたようだ。それを見ていて、つい最近のある分会の秋闘の職場集会で「労組は10年先、20年先の長期的な生協の展望や政策論議をしないのか?」という意見が出されたことを思い起こした。

 なるほど、ビジョンのワークショップが岡山で開かれていたことなんて全然知らなかったけど、こうした取り組みに参加した仲間にとっては、“労組って権利を主張したり、不満や文句は言うけれど、こんな生協の展望を考えるような議論なんてやってんのか?”なんて風に感じるんでしょうね。
 どっこい、生協労組では、生協労連を中心にしながらビジョンの問題は重要なテーマであるとして、ずぅっと前から議論しているのだ。しかも、日生協が示したビジョンには批判的な立場で。もちろん、それは文句を言うだけというレベルではない。生協のあり方、現代社会から将来ににおける存在意義を議論する中で、日生協の示しているビジョンの案は事足らないという視点からである。
 残念ながら、日生協のHPから読み取れる範囲では、現在論議が呼びかけられている2020年ビジョンに対する批判的かつ建設的、更に議論を深めるような議論がワークショップの中で展開されているようには到底見えない。もちろん私見だが。そこにはまったく欠けている視点があるからである。
 ワークショップでは、10年後の未来において、おそらく抱えているであろう社会的な問題について、生協としてどう事業展開を進め、生き残っていくかという視点での議論しかない。何故そういう問題が10年後にまで残されているのか、そんな問題を将来にまで引きずらないように、あるいはそれまでに解決されるように、今、生協に何が求められているのかなんて視点はまったくない(これも私見だが)。つまり、現状容認型の論議でしかないのだ。“こうしたら支持され、売れる”とか“こうしたら事業の新しい展開ができる”とかいうのは実にお盛んだが…。
   ※組合員参加のワークショップは、ある意味、その論議に限界があるかも知れないので、ここでの批判の対象にはしない。
 生協労連の議論は、まさにこうした日生協に欠けている点にある。生協の理念に掲げられた“自立した市民の協同で~持続可能な社会”を実現するために、現代社会から求められている生協の存在意義とはなんなのかということである。分かりやすくいうと、例えば店舗の価格が劇的に安くなってもそんな社会は実現できないし、宅配事業のリードタイムが現在の1週間から当日や翌日に縮まったとしても、そんな社会は実現できないのである。ならば、生協に求められている存在意義はなんなのか…まさに現代の生協職員にとって最も重要かつ壮大なテーマであると同時に、生協の展望を語る上で避けて通れない問題であると思うのである。
 もう一つだけ加えたい。日生協の2020ビジョンの問題提起の中に、そこに働く労働者の暮らしや働き方、働き甲斐をどう作り出していくのかという提起は、20ある提起のうちたった一つ(論点17)しかない。他に働く者への提起があるかといえば、全然ない。私は、まさにその事実こそが今の生協の思想的弱点であると思えてならないのである。
 これは、あくまで私の私見である。しかし、私の私見も含めて、労働組合はずっと生協の将来を見つめて、その存在意義を問う論議を進めてきている。私は、最初に質問した仲間に逆に聞きたい。こんな…労組のような論議でもいいしワークショップのような論議でもいい…論議がおかやまコープの中でされているんだろうか?本来は、労組よりももっと活発な議論が経営の中にあってしかるべきだと思うのである。

カテゴリー: 書記局のつぶやき…(雑感) | タグ: | 2件のコメント
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